伊坂幸太郎 『終末のフール』

終末のフール
 8年後に小惑星が落ちて来て、人類は滅亡すると発表されてから5年。終末まで残りあと3年という時間の中で、人々が生きる姿を描いた連作短編集です。
 本書に登場する人々は、ハリウッド映画の登場人物のように人類を救うために何かをするわけではありませんし、悲嘆から立ち直って殊更に限られた時間を生きる素晴らしさを体現するわけでもありません。それは、

「ひと段落着いたんだな。」兄がそう言ったことがある。「パニックを起こす人間はひと通り、いなくなった。自殺をするか、移動をするか、もしくは捕まった。だから穏やかになったんだ。それに、そろそろ気づきはじめたんだろう、あと三年しか生きられない今、一番賢いのは平和に暮らすことだとな」

     伊坂幸太郎 「籠城のビール」『終末のフール』p92

ということなのでしょう。
 ここで本作の設定が秀逸なのは、作中の時間設定が「小惑星が地球に落ちる」と発表され、人々が恐慌に陥った時点でも、ましてや終末を今まさに迎える直前でも無く、「滅亡が明らかになってから5年」、「残りあと3年」というまさに絶妙の時点に置かれたことでしょう。
 仙台の北部にあるという架空の「ヒルズタウン」に生きる人々は、誰もが等身大の人間であり、3年先の終末が暗い影を落としながらも、淡々と日常を送ります。
 小惑星の騒動の前に息子に自殺され、絶縁状態だった娘と再会した父親。
 あと3年しか時間が無いのに妻に妊娠を告げられ、その子どもを出産してもらうべきかどうか悩む夫。
 かつては無責任な報道姿勢で人を死に追いやり、今は家族とともに引っ込んだヒルズタウンで二人組に銃を突きつけられる元有名アナウンサー。
 目標を机の前に貼って残された時間を過ごす、親に死なれた少女。
 世の中が滅茶苦茶になっても変わらずトレーニングを続けるキックボクサーと、彼に憧れていた少年。
 首を吊ろうと思っていた時に学生時代の天文マニアの友人に電話で呼び出され、過去に思いを馳せる男。
 家族を無くした人々の間で、代理の家族を「演じる」元劇団員の女性。
 そしてマンションの屋上に櫓を作って終末の最後まで見届けるという老人。

 全ての作品の登場人物たちは、あくまで「個人の視点」で大きな災厄に直面していて、そこには卑小な人間だからこその生き様があり、日常を続けることの凄みがあるように思います。

 また、伊坂作品の多くに共通して見られるテーマのひとつではありますが、本作ではこれまで以上に「家族」というものが全面に出されています。
 そして「人類の終末」という非現実を単にリアリズムの追求で描くのではなく、登場人物たちすらも、どこか現実感をもって受け止められずに、結局のところ5年という時間を経た末の不思議な小康状態の中で淡々と日常を送るという部分に描かれる、作中におけるリアリズムを評価出来るのでは無いでしょうか。
 そこに描かれる人々の嘘のない人間らしさが、何とも心に残る1冊でした。