パオロ・バチガルピ 『ねじまき少女 上/下』

ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)

 化石燃料が枯渇し、遺伝子組み換えによって新たに生み出された動物を使役することでエネルギーを生み出す世界。その中で、独自の方策を打ち出すことによって奇跡的に独立を保っていたタイ王国バンコク。"カロリー企業"と呼ばれる欧米から進出した企業の工場を経営するアンダーソン・レイク。アンダーソンの下で雇われて働く、"イエロー・カード"と呼ばれる中国系移民のホク・セン。元々は日本企業の重役秘書であったものの、タイ王国では違法の人工生命体であるために捨てられて、現在はバンコクの娼館で蔑まれながら常にオーバーヒートする危機に瀕して生きる"ねじまき"のエミコ。タイ王国を守る環境省の"白シャツ隊"を取りまとめ、賄賂を全く受け取らないがために英雄視される一方で、権力から敵視されるジェイ・ディーと、彼に従いながらも複雑な心情を抱く副官のカニヤ。アンダーソンは"ン・ガウ"と呼ばれる未知の果物を探るなか、ねじまき少女のエミコからギ・ブ・センという、鍵を握ると思われる男の名を聞くことになります。逆にエミコは、アンダーソンが語ったねじまきだけで暮らす北部にあるという村に思いを馳せますが、彼女の所有者はエミコを劣悪な環境から逃そうとはしません。環境省通産省の権力闘争が激化する中、それぞれの運命は大きな流れの中で翻弄されます。

 高度な技術によって全ての動力源となる「ねじまき」「ぜんまい」、それらのエネルギーを生み出すカロリー企業など、独特の設定が緻密に構築された世界観が魅力の近未来を舞台としたSF作品。
 とはいえ、独特の世界設定を飲み込むまでに時間がかかるため、物語が佳境に入るまでは中々物語世界に入り込めず、難解な印象を受けることは否定できません。むしろ本作は、この作品世界を理解させるために上下2冊がある作品と言っても過言が無いほどに、終盤に至るまで何が何だか良く解らないままに事態が進行している印象すらあると言えるでしょう。
 猥雑な世界で、それぞれの登場人物が次々に過酷な状況に追い込まれながらも、それぞれの立場で駆け引きをしながら生き延びようとする姿が描かれる本作では、既存の道徳観は意味をなさず、欲望や裏切り、自らの生存への執着が群像劇のように描かれることになります。
 全体的に難解ながらも、そうした部分での底知れぬ混沌としたパワーと、ラストシーンでの不思議な静寂感が、本作の魅力となっているように思います。