道尾秀介 『光媒の花』

光媒の花
印章店を営みながら、重度の認知症の母親の世話をする男が、三十年に一度咲く笹の花の中で見た少年時代の光景を思い出す『隠れ鬼』。夜の河原で対岸の懐中電灯の明かりを見ながら虫取りをする小学生の兄妹が、犯した罪に怯える『虫送り』。ホームレスの男性とともにいる夜の河原で、かつて昆虫好きだった少年時代に仄かな想いを抱いた少女の思い出を反芻する男の物語『冬の蝶』。ウェイトレスをする一人暮らしの女性の隣に住む老人の家で、両親の諍いで心に傷を負い耳が聞こえなくなった女の子が一人で留守番中に泥棒が入ったという『春の蝶』。病気で入院した姉を見舞う青年が、姉の言葉に思い立って持参したアジサイの花をきっかけに、死んだ父親のことで長年心に引っかかっていたものに向き合う『風媒花』。教師という職業に自身を亡くした女性教諭が、母教え子の少女起こした小さな事件で、少女の心の奥底にあった母親の再婚に悩む葛藤に共に向き合うことになる『遠い光』。

 ミステリという土壌を持つ著者が、その土壌を有したままに狭いカテゴリから脱却し、深い人間性を描く文芸作品の中にミステリ的な仕掛けを施し、さらにはごく自然な形での繋がりの面白さを見せる連作という骨組みの中に入れ込まれた物語。
 1章ごとに変わる物語には、織り込まれたキーワードや人物でゆるやかにつながり、最終章の『遠い光』を読み終えるとまた、第1章の『隠れ鬼』に戻りたくなる構成の上手さを見ることが出来ます。
 そして、描かれるのは人間の愚かさであると同時に、愚かさゆえにその人を慈しむ暖かい視点に満ちた物語であり、後半になるに従って強まるその傾向は、最終章の『遠い光』では明確に「救済」という形に結実していると言えるでしょう。
 登場人物たちのどこまでも繊細な心の動きが織り成す各章の物語は、第二章の『虫送り』と第三章の『冬の蝶』に関しては特に連作性が強く働いているものの、それぞれ完全に独立したものとして楽しむことができます。