[読了]エリス・ピーターズ 『聖なる泥棒 修道士カドフェル・シリーズ19』

聖なる泥棒―修道士カドフェル・シリーズ〈19〉

 本作では、1作目『聖女の遺骨求む』でシュルーズベリ修道院にやってくることになった聖ウィニフレッドの遺骨が、洪水の騒ぎの中で何者かに盗まれてしまいます。
 この聖女の遺骨を盗んだ犯人に関しては、かなりあからさまな事前の伏線によって読者には一目瞭然なのですが、その後の発見された遺骨の所有権をめぐるやりとりの中で聖女の起こす「奇跡」が非常にスパイスを効かせた作品であったということが言えるでしょう。
 殺人事件や人間関係の糸をほぐす際には、些かご都合主義のきらいがないとは言い切れないのですが、それでもシリーズにおいてはあくまでも現実的に謎の糸は解きほぐされます。その一方でこの聖女ウィニフレッドは登場からして幾つもの奇跡を乱発していますし、シリーズ10作目の『憎しみの巡礼』では歩けない少年の足を治してしまうことさえ「聖女の奇跡」として作中では起こっています。そんな風に「奇跡」は明らかに「奇跡」として存在しているのですが、本作で起こる「奇跡」に対しては、説明のつく一連の流れの中に、ほんの少しだけ紛れ込んだ偶然として描かれているために、物語の中において浮いてしまわずに効果的なスパイスとして存在し得ると言えるでしょう。作中では非常に分かり易い言葉で、それが何であるのかが述べられているのも印象的でした。

「奇跡とは」とカドフェルは簡潔にいった。「ごく当たり前の状況にくわえられる神の操作だ。そうではないか?(中略)だがそうだとしても、それこそ偶然のチャンスだったとはいえないだろうか?いまになって思い返してみると」
『聖なる泥棒』pp250

 この、聖女の遺骨の所有権を明らかにするためと、事件の鍵を示唆する警句を示してくれる聖女の奇跡が、本作を非常に起伏の富んだ作品にしていると言えるでしょう。
 物語としては、聖女の遺骨が盗まれ、そして殺人が起こるに至った経緯を解き明かす過程は一筋縄では行かず、二転三転する展開を十分に味わえる1冊でした。それと同時に、描かれる登場人物が皆、生き生きと体温を持った存在として描かれていることにとても好感を持てる1作です。
 シリーズも進むに連れて、10作を超えた辺りから各話の登場人物もパターン化されてきて中だるみが感じられていた部分もあったのですが、本作で登場するロバート伯爵のしたたかでありながら茶目っ気のある個性や、毎回憎まれ役であるのに愛すべき人物として描かれるロバート副院長と、彼の腰巾着のジェローム修道士なども、今回もまたどの人物も非常に魅力的でした。
 また、死を目前にしたある女性の予言に導かれたかのようなラストは、シリーズ中でも稀に見るほどに綺麗なものでした。