アガサ・クリスティ 『牧師館の殺人』

牧師館の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 平和で退屈な田舎町、セント・メアリ・ミードで、頑固で住人から好かれていない退役軍人の男が、牧師館で銃によって殺されているのが発見されます。容疑者の男が自首したことで、事件はすぐに解決したかに思われましたが、別の人物が本当は自分がやったという供述をしたりと、事件は混迷の度合いを深めていきます。

 ミス・マープル物の長編第一作であり、本作の語り手は事件の舞台となった牧師館の主である、村の牧師のレナード・クレメントがつとめることになります。その意味では、これ以降はポワロと並ぶシリーズ物の名探偵となるミス・マープルの存在感は、作品中盤に至ってもクレメント牧師の視点では「登場人物の一人」に過ぎない辺りも本作の特色と言えるかもしれません。
 既にミス・マープルがシリーズ探偵であることを知っている私たち読者にとっては、この牧師の視点というのがどこかもどかしさのようなものすら感じられる部分もありますが、それだけに「神の視点」ではなく事件に関わる一人の人物から見た物語として、本作は生々しさすら感じられるものといえるでしょう。
 そして、ミス・マープルの見た些細なものが真相を導き出すという事件の解明への過程も、実に精緻に描かれ、ミス・マープルの探偵としての個性を強調するものとなっています。
 クリスティらしい、個性的な登場人物、それぞれが何か秘密を抱えているらしい容疑者たちなどが生き生きと描かれ、序盤から波乱含みの事件は終盤になっても二転三転する、シリーズ物の楽しみを抜きにしても魅力に満ちた一作。

 何故か最終作である『スリーピング・マーダー』から読み始めてしまったこのシリーズ、何だかシリーズ作を読み終えてしまうのが勿体無くて何年もこの『牧師館の殺人』だけ読めずにいましたが、最近母がこの1冊を買ってきたお陰でシリーズ読了となってしまいました……。