鮎川哲也 『朱の絶筆』

朱の絶筆  星影龍三シリーズ
 人気作家の篠崎豪輔がどれ程傲慢に振舞おうと、その人気ゆえに業界では、誰も彼に逆らえません。かつて篠崎のために夫と子供を捨てた女は、あっさり篠崎に捨てられて全てを失い、篠崎の原稿を紛失した編集者は、編集者としての生命線を断たれるなど、その傲岸不遜な性格から篠崎は、周囲の恨みを買っています。ところが、そんな作家は、編集者の田中が篠崎の秘書のふみ子と付近へドライブに出掛けて帰って来てみると、部屋で原稿の手直しをしている途中で殺されていました。

 本作は、もともとが、雑誌の懸賞付き犯人当て推理小説として上梓された短編に、容疑者一人一人の動機の根源となる部分を詳細に記した部分をはじめとして、大幅な加筆を行った長編です。そして光文社文庫版である本書は、元の短編及び、読者回答を読んでの著者の評も収録されている、『朱の絶筆』の完全版とでも言うべきものとなっています。
 動機のある人間は山ほどおり、その一人一人についての人物の掘り下げはしっかり為され、そして、読者に対する情報の提示の仕方もフェアプレーの精神に則ったもので、本書は安心して読める良質なミステリとなっています。
 トリックに関しても、メインのひとつであるアリバイトリックに関しては、さほど難易度の高いものではありませんが、毒殺のトリックやそこに至る伏線の綿密さ、さり気なく配置された手掛かりの示し方が秀逸であり、トータルで見ても非常に精度の高い本格ミステリであると言えるでしょう。
 最初に短編として発表されてから既に30年以上が経っていますが、時代性を感じさせるものはあっても、ミステリとしては決して「古い」という印象は受けませんし、古典として読み継がれる作品なのかなと思います。