恩田陸 『きのうの世界』

きのうの世界
 三本の塔がそびえ、水路が張り巡らされた小さな町の外れ、水無月橋で男の死体が発見されます。その男、市川吾郎は一年ほど前に突然東京で失踪し、色川という偽名を名乗ってその町に住み着いていました。市川は塔と水路の町で、様々な住人と話して歩き回り、何かを調べていたらしいのですが…。

 まず事件が最初にあって、様々な人の視点や証言から物語の全体図を浮かび上がらせるという、恩田陸が好んで使う手法は本作においても用いられます。ただ、そのことで結末部において全てが綺麗に繋がってひとつの絵が浮かび上がりすっきりと終わるのかといえば、恩田陸ならではのもやもやとしたどこか釈然としない読後感が強く残る作品になっていると言えるでしょう。
 正直なところ、この物語において、二人もの人間が謎の死を遂げる必要があったのかといえば微妙な気はしますし、その死の真相に関しても肩透かしのようなものを感じないではありません。
 ただ、読者を置いてけぼりにして釈然としない読後感を残すのが恩田陸の持ち味のひとつであることは確かでしょうし、そのことは必ずしもマイナス評価に繋がるものではないでしょう。
 何よりも、失踪した男の突然の死の真相以上に、塔と水路の町に秘められた大仕掛けの真相は実に見事。この町の外から訪れて事件を調べる登場人物の視点、この町に住みながら些細なことに違和感を感じる登場人物たちの視点を、市川吾郎という男の謎の行動の上に積み重ね、最後に壮大な仕掛けが明らかになる部分は、間違いなく本作の見どころでしょう。その意味では本作の主人公はこの町そのものであり、人間達はあくまでも主役を浮かび上がらせるための脇役に過ぎません。
 序盤から中盤にかけて、視点が短いスパンで入れ替わり、ひたすらエピソードが積み重ねられる過程は些か冗長にも感じられますが、真相の核心が近付くに連れて高まる緊張感、そしてその後の唐突で釈然としない「終わり」など、恩田陸らしい要素の詰まった長編であることは事実でしょう。