海堂尊 『イノセント・ゲリラの祝祭』

イノセント・ゲリラの祝祭
 厚生労働省の白鳥から医療事故調査委員会に招かれた医師の田口は、その委員会の場で厚生労働省の政策と医療の現場のあまりにもかけ離れた姿を目にします。法医学と病理学の対立、司法と医療の対立など、さまざまなものが厚生労働省の歪んだ医療政策に端を発していることを、田口は肌で知らされます。官僚でありながらこの歪みにメスを入れようとする白鳥、そんな白鳥をはじき出そうとするする官僚社会、そこに白鳥の切り札として過去に問題を起こした病理医の彦根が送り込まれようとします。

 これまでのシリーズ作品で積み上げてきた世界観は、本作において見事に結実し、新しいステージへとシリーズが向かう予感を抱かせてくれます。それは、これまでのシリーズ作品においては、外科手術、小児外科病棟、救急医療など、いずれも医療の現場が舞台であったのに対し、本作における舞台はその枠を飛び出して厚生労働省が歪める「医療行政」の舞台裏を垣間見せており、これまでのシリーズ作品が描いてきた問題の全ての根幹に触れていることによるものでしょう。
 年間の解剖率が2パーセント台で、多くの死が「死因不明」であることすら認識されていない日本の医療の問題点を、死体をCTなどにより画像診断するエーアイで解消できる――にも関わらず、それが為されないという現状を、著者はデビュー作から一貫して小説というエンターテインメントの形を借りた啓蒙を続けてきました。本作も当然その延長線上にあると共に、これまで以上に日本の医療が抱える病根を真正面から取り上げた意欲作になっていると言えるでしょう。
 そして会議室という、動きに乏しい場を舞台でありながらも、著者の強烈な問題意識は、ドラマティックな演出で現代日本医療崩壊へのカウントダウンを描き出し、医療に明るくはない読者を十分に引き込みます。何よりも、現実では出口の見えない問題に対し、落としどころとしては些か大風呂敷を広げ過ぎたきらいはあるものの、問題に対する解答のひとつの方向性を明確に打ち出して、かつそれが物語としてしっかり成立している部分は、長年国の厚生医療行政の迷走に憤りを抱いた著者だからこそ書けるものなのでしょう。
 何よりも、医師ではあるもののある意味読者に一番近い視点を持つ田口を中心に据え、強烈な個性のキャラクターが織り成す破天荒さをもってエンターテインメント性を強く打ち出すことで、非常にエキサイティングな小説として純粋に楽しめるものにもなっています。