親しくしてくれている数少ない女性である、大学でフェミニズムを専門とする准教授の三崎忍に請われ、家族社会学者の矢樹純は、二十年ぶりに彼が捨てた故郷へと向かいます。忌まわしい風習がいまだに残っているその集落へと向かう途中、二人の目的の場所である寺へ行くという、心理カウンセラーを名乗る桜木という男に出会います。駆け込みの風習の残るその寺へと辿り着いた彼らですが、夢うつつに故郷を出る原因のひとつである人物の姿を純が見た後、突然彼の前から忍が姿を消してしまいます。そして桜木と共に忍を探そうとする純は、、鍵のかかったトイレで無残な死体を発見してしまいます。
大賞は逃したものの、その後加筆修正を加えることで刊行された、2012年の「このミス」の隠し玉作品。
忌まわしい風習が残る集落、切断された死体、足跡の無い犯行現場など、本格ミステリのガジェットをこれでもかと盛り込みながら、それらで演出する殺人事件そのものは、あくまでも脇役に押しやってしまう辺り、何とも挑戦的な一作と言えるでしょう。
主人公の純の過去と意図的に忘却した記憶に隠された謎という謎に関しては、物語の中盤でまず、割とあっさり大きな問題が明らかにされます。この辺りも、それだけで一本の大きなトリックを仕掛けたミステリとしても使えそうな題材であるにもかかわらず、惜しげもなくそれを単なる伏線、通過点としてしまう辺りも、本作で特筆すべき点と言えるかもしれません。ですが、主人公の過去を描くことで、終盤に明らかにされる真相に至るまでに経る大きな錯誤が生きてきており、複雑な構造の中で生み出された謎とその真相は、読者の盲点をもついたものになっているようにも思います。
また、桜木というキャラクターが非常に面白いものであり、彼あってこその事件の解明であり、探偵役としても味のあるキャラクター造形が成されていますが、この桜木のある個性に関して、帯やあらすじで明らかにしなかった方が面白かったのでは…という気はします。勿論、それ自体は物語中における謎として扱われているわけではないものの、サプライズとしてひとつ盛り込むには十分なだけの素材であるようにも感じられるだけに、勿体なく感じられる一面もないとは言えません。
とはいえ本作は、本来であれば、それだけでメインの謎やサプライズになり得る素材を、惜しげもなく単なる「要素」としてしまうだけのパワーが、ひとつの特徴となっている一作。
やや、要素が多くててんこ盛り過ぎる印象も皆無ではないものの、個性的なキャラクターの良さ、魅力的な舞台立て、効果的に演出される謎とその解明など、アピール力のある作品であるのは事実でしょう。また、桜木という人物そのものについても、必ずしも直接的に描きつくしてはいませんし、結末に残る余韻を含め、今後のシリーズ展開があっても面白そうな気がします。