柳広司 『ラスト・ワルツ』

ラスト・ワルツ (角川文庫)
 ナチス・ドイツと同盟国となっている日本との政策映画で、アメリカ帰りの日本人俳優が監督となり、映画製作をすることになります。そのための日独共催のパーティの裏側で、潜入したD機関のスパイである雪村は、「幽霊」が現れるという話をナチス将校のゲッペルスから聞かされます(『ワルキューレ』)。
 奔放な性質でいながら陸軍中将に嫁いだ華族の出である顕子は、仮面舞踏会の晩、オペラグラスで人を探しながらかつて自分を助けてくれた軍人の男性を思い起こします(『舞踏会の夜』)。
 スコットランドヤードのヴィンター警部は、一見自殺にしか見えない密室での男の死が偽装された殺人であることを直感的に見抜きます。地道な捜査から、犯人と思われる男に辿り着きますが・・・(『パンドラ』)。
 満州を走る鉄道の中で、ロシア人の情報提供者から情報を得るはずだったD機関のスパイの瀬戸でしたが、肝心の相手が列車内で殺害されているのを発見してしまいます。この犯行が、スパイを殺すロシアの秘密諜報機関によるものであることを感じ取った瀬戸が取った作戦とは――(『アジア・エクスプレス』)。

 かつて伝説的スパイであった帝国陸軍の結城中佐により設立された、軍人以外のいわゆる主流たり得ない「地方人」のみを訓練し、任務に特化したスパイを養成し抱える「D機関」のスパイたちが任務を遂行するさまを描いたシリーズ短編集の第4集。
 本書では、日本は徐々に泥沼の戦いに入り込んで行き、ヨーロッパではナチス・ドイツが不穏な動きを強め始めているという時代背景の中、いまだ様々な場面での諜報戦が繰り広げられます。前作のラスト辺りから確実に変わり始めた戦争への動きは、本作でのスパイたちの活動にも表れており、複雑に絡む各国の思惑の中でのD機関の暗躍が描かれます。
 興味深いのは、『パンドラ』において、まさにこの時代背景でいわゆる「大量死論」*1が語られていることでしょう。
 この「大量死論」という考え方は、昨今ではやや「今更」な感じで改めて取り上げられる機会も減りましたが、まさにこの時代を舞台とし、その時代に生きる架空の登場人物たちの口から語られるという辺りは、思わずにやりとさせられてしまいます。
 タイトルとなった「ラスト・ワルツ」は、単純に考えれば収録されている『舞踏会の夜』を連想させます。ただ深読みするならば、仮面をかぶり密かに歴史の裏側にいるスパイたちの踊りの終焉が迫っていることを仄めかしたものとも考えられそうで、シリーズの今後が期待されます。

*1:笠井潔により提唱された、英米のミステリ黄金期というのが、第一次世界大戦によってそこにおける「個々の死の意味」や「尊厳」が失われたことの反動で、「個の死」を深く掘り下げてクローズアップすることで、死への復権とでも言うべきものを果たしたという考え方。