ジル・チャーチル 『エンドウと平和』

エンドウと平和
 エンドウ豆の品種改良で財を為した人物の建てた博物館の女性館長が、ジェーンらが祭りで南北戦争の再現劇を畑で行っている中、銃で撃たれて殺されてしまいます。周りにいたこの歴史劇の出演者やエキストラたちは、当然のように銃を持っていたり倒れて死んだ振りをしていたりしていたため、誰も犯行には気付けませんでした。博物館のボランティアの仕事を手伝いながら、ジェーンと親友のシェリイは、関係者達からこの博物館を巡る人々の様々な話を聞かされ、事件を推理します。ですが、博物館創始者の血筋の者達の間では遺産を巡る金銭問題、博物館の関係者の中では一部の人間関係には問題があるものの、被害者は殺されるほど憎まれる人間にも思えず、事件の真相はなかなか見えてきません。

 まず、本作においてひとつ難点を挙げるとすれば、毎回このシリーズでは、主婦感覚によって培われたジェーンの鋭い人間観察によって、事件の真相を推理するというのがひとつのパターンとなっていますが、本作ではその推理の裏付けや物証がほとんど無い点は指摘せざるを得ません。
 推理の根拠が薄いというだけでなく、

「それなら起きたこと全部の説明がつくのは認める。けど、証拠はどこにある?もっともらしい憶測だけじゃ逮捕は出来ないぜ」

と、作中でも刑事のメル・ヴァンダインの台詞で言われますが、推測だけでなら何でもあり得るのではないかと、読者に思わせてしまう弱さがあるのは事実です。
 推理の端緒となっているものについても、本シリーズではこれまで、主婦ならでは、あるいは母親ならではの、ちょっとした日常からヒントを得た上での推理であることに、大きな魅力があったのですが、本作では些かその部分も特徴の薄いものになってしまっている気がします。
 ただ、個性的な登場人物の書き込みは相変わらず秀逸ですし、被害者や容疑者への鋭い観察も面白く読めます。加えて、ジェーンやシェリイの、逞しい主婦でありながらもどこか可愛らしさを感じさせる会話も、何作読んでも楽しめるだけのパワーは健在だといえるでしょう。