有川浩 『阪急電車』

阪急電車

 宝塚駅から西宮北口駅を繋ぐ今津線。片道15分のこの阪急電車に乗り合わせたことで、何人かの乗客の人生に小さな岐路が訪れます。図書館で見かけた気になる女性と、窓の外に見えた文字を切欠に会話を始める征志。結婚寸前で相手に自分にくっついていたような女と浮気をされ、二人の結婚式に仕返しの為に出席した翔子。犬嫌いの夫に先立たれて、孫と一緒に電車に乗りながら犬を飼うことを考える時江。時江と言葉を交わしたことで、小さな駅で途中下車をすることになった翔子。暴力を振るう彼氏に逆らえずに、理不尽な振る舞いをされ続けるミサ。漢字の読めない社会人の彼氏を持つ女子高生悦子。高校時代「軍ヲタ」とからかわれた過去をリセットして、大学に入って心機一転をする圭一の出会い。同じ電車に乗り合わせ、少しだけ重なり合ったことで動き出した乗客たちの物語は、そして折り返しを迎えます。

 一本の電車を舞台に、ひとつの駅ごとに主人公を変えたそれぞれの物語が少しだけ重なり合う連作短編集。主人公を変えての短編集と言うと、どうしてもキャラクターのインパクトよりも個々の話やそれらの繋がりが見せる絵で読ませるという面に重点が置かれがちですが、本作においては全ての登場人物が有川作品ならではの一本筋の通った個性を放っています。
 勿論1冊の本として、そして阪急電車という舞台を主人公にして紡いだひとつの物語としての構成の上手さも文句の付けようはなく、特に「折り返し」をそのまま登場人物たちの物語にも当てはめることで、非常に完成度の高いひとつの作品となっているということが出来るでしょう。
 阪急電車という日常の中で繰り広げられる物語は、その物語の主人公個人には大きなものであっても、通りすがりの他の人々には何ということのない、ありふれた物語です。それだけに、それぞれの主人公達の心の動きや小さな岐路を鮮やかに描いた著者の力量が際立つ1作。
 本作では、それぞれの作品の主人公達が積極的な関わりを持つのではなく、あくまでも「同じ電車に乗り合わせた他人」としての関わりで繋がっています。その関わりは、ほんのひとことふたこと交わした老女との会話だったり、同じ車両に乗った女子高生の会話だったりと、実に些細なものばかりです。そしてこれらが、どこまでも些細なものであるがゆえに物語に無理がない辺りもまた本作の上手いところでしょう
 読んでいて少しだけ幸せになれる空気といい、有川作品の持ち味である好感の持てるキャラクター造詣といい、実に魅力的な作品でした。折り返したまたその後の物語も、ずっと読みたくなるような作品。