桜庭一樹 『荒野』

荒野
 尽きること無い女性遍歴を糧として、作品を世に送り出し続ける恋愛小説家の父と、おおざっぱな家政婦の奈々子さんの三人で暮らす12歳の少女、山野内荒野。中学の入学式の日、電車の中で助けてくれた少年が気になっていた彼女ですが、荒野の名前を聞いた瞬間から少年は彼女を睨んできます。そして不意打ちのように新しい家族が増え、荒野を取り巻く環境は劇的な変化を遂げます。

 以前はファミ通文庫というライトノベルレーベルから『荒野の恋』として、第二部まで刊行されたものに、新たに第三部を書き下ろして1冊にした作品。
 中学へ入学した12歳の「大人以前」から始まり16歳を迎えるまでの荒野という女の子を通して、桜庭一樹は「少女」と「女」の境界を見事に描き切っていると言えるでしょう。
 本作に登場する「女」は、一見して荒野にも性を感じさせなかった奈々子さんにはじまり、父親の再婚相手であり悠也の母親でもある容子さんなど、父親を取り巻く「女」たちは一貫して生々しさに満ちています。
 そのことで「少女」である荒野は、自分の中の「女」を頑なにまで遠ざけますし、同年代の少女に比べても「女」としては精神的に未発達であり、恋や性に対しての本能的な怖れを強く持ち続けます。
 「荒野の恋」というタイトルを冠して世に出た本作ではありますが、その中身において荒野自身の恋を描いた部分は、作中の比率的には決して多くありません。本作の優れたところは、荒野という「少女」の恋を狭い視点で描くのではなく、父親を取り巻く女たちや思春期を迎えて恋を知って変わっていく同級生たちを描くことで、荒野自身の成長と共に「少女」と「女」を、それを通じて「荒野の恋」を抉り出したことでしょう。
 「少女」である荒野が目にする「女」はどこまでも生々しさに満ちており、そのことに嫌悪感を感じる荒野の視点を借りた読者もまた、大人の女の恐ろしさを垣間見ます。けれども荒野が成長し、友達や一緒に暮らす父親の再婚相手の容子さんという「女」を受入れはじめて、荒野とそして読者の感じる世界は広がりを見せます。
 そうしたことは、父親の著作を読んだ荒野の姿を通して、非常に象徴的に描かれます。初めて父親の著作を読んでしまい、そこに描かれていた女性のモデルが幼い頃から一緒に暮らしていた奈々子さんであることを悟ってしまい、奈々子さんの知らなかった「女」の部分を見せ付けられた荒野は、「少女」として大きなショックを受けます。ですが容子さんをモデルに描かれた作品を読んだ15歳の荒野は、そこに描かれる「女」を次のように受け止めます。

ただ、読んで良かったと思った。読まずに震えていた気持ちがすーっとどこかに消えて、なんだ、怖くない、と勇気が出てきた。

 子供から大人への境界へ差し掛かり、それまでは恐怖感を抱いていた大人たちと徐々に対等になっていく荒野という「少女」を見事に描き出した力作。
 途中までとはいえ、これをライトノベルという媒体から世に出したことは英断であったでしょうし、未完の作品の書き下ろしの続きを含めた単行本化は、文庫読者への配慮が欠けるという批判もあるのは事実です。ですが、今回の一般文芸書としての単行本化によって、12歳から16歳を迎えるまでの荒野という少女を描いた良質の長編作品として広く読まれ、そして評価されることは、非常に喜ばしいことでもあるのではないでしょうか。