大石圭 『女奴隷は夢を見ない』

女奴隷は夢を見ない (光文社文庫)
 父親の会社が立ち行かなくなったことで突然騙されて売られる19歳の女子大生。結婚二年で若い愛人を作った無責任な夫に売られる29歳の人妻。幼い頃から売春宿に売られ、生きるためにそれを当然のものとして受け止める盲目のインド人少女。彼女らは奴隷市場にかけられるためにブローカーに買われ、そしてビルの一室に監禁されて自らが競りにかけられるのを待ちます。

 人身売買という、あってはならない理不尽なビジネスを介してつながる、売られる女たちと売る側のブローカーたちの物語。
 本作において特徴的なのは、現代日本で人身売買を営むブローカーたちが、決して型通りの「悪人」ではないことでしょう。彼らは売られる女たちの境遇に同情しその境遇を生み出したものに対して怒りすら見せます。ですが、女たちがひどい買い手に買われなければ良いと心底願いながらも、「商品」として女たちを仕入れ、高く売れればボーナスを出せると喜ぶような矛盾に満ちた存在として描かれます。
 特に、こんな生業の自らを「卑しい」と自己嫌悪を感じながらも、無気力無感動でいることでバランスを保っているようにすら見える、経営者である高野の抱える自己矛盾は、奴隷売買の商品として貶められた女たちと高野の飼い猫の姿を通してクローズアップされることになります。
 必死で抵抗した末にせめて自ら幸せを掴むため、自分を高く売ろうとする29歳の人妻も、「何故自分だけが」という理不尽に怒りを見せる19歳の少女にも、決して悪人ではない売り手たるブローカーはどこまでも同情的であり、時としてやるせない怒りすら顕わにします。
 そして高野は、商品である盲目のインド人少女との交流をすることで、彼女と過ごす時間に安らぎを覚えるようになり、彼女を売るのをやめようかと葛藤します。簡単な一歩を踏み出せば、少女を売らずに済むのにそれが出来ない高野の弱さや、あくまでも仲介業者でしかない彼らの姿を通じて描き出される虚しさは、何とも言えない読後感を残します。
 もう一歩踏み込んでいないもどかしさゆえの消化不良すらも、この虚しい読後感に繋がっているという意味では欠点とは言い切れないのかもしれません。