近藤史恵 『モップの魔女は呪文を知ってる』

モップの魔女は呪文を知ってる (実業之日本社文庫)

 スポーツクラブで働く青年は、仕事を終えた深夜に清掃員の仕事をしにきたキリコと出会います。最近プールで起きた不可思議な火傷の事件のことを話すと、キリコは事件が再び起こるかもしれないと不吉なことを言います(『水の中の悪意』)。
 実家から離れて入学した大学に通う少女は、ペットショップで一目惚れしたスコティッシュフォールドの仔猫を買う為に、1ヶ月間過酷なバイト生活をしてお金を貯めることを決意します。いくつものバイトのかけもちと、切り詰めた生活で体調を崩しかけたりしながらも目標の金額を溜めた少女ですが…(『愛しの王女様』)。
 子供が苦手なのに小児科に配属された新人看護師は、入院している子供たちの間で「魔女の噂」となっているのが、夜間に私服で清掃作業をしていたキリコの姿を見間違えた少女がいたことからだったと知ります。そしてキリコも気にしていた検査入院をしている少女の病状の不自然さや母親のヒステリックな振る舞いや、少女の言動に、看護師は引っかかるものを覚えます(『第二病棟の魔女』)。
 弾みから妹を殺害してしまった女社長は、そのことに深い後悔を覚えながらも何とかして死体を隠そうと考えを巡らせます。ですが、ビルの清掃に現れたキリコや、いきなり自殺を図ろうとした同じビルに入っている会社の男性社員などが現れて…(『コーヒーを一杯』)。

 清掃作業員のキリコのシリーズの3冊目。
 全4編、それぞれの物語の語り手たちは、各々の仕事や生活に、悩みやフラストレーションを抱えています。やっていることに全く意味がないかのような、やる気を失わせるだけでしかない仕事の現実。友達と呼べる相手が中々出来ずに、家と学校を往復するだけの虚しい生活。何をやっても上手くいかず、逃げ出したくなるような職場。一方的に甘えるだけ甘えて、勝手なことを言う相手へのフラストレーション。そうしたものを抱えて追い詰められた登場人物たちは、キリコに出会ったことで、事件が解き明かされると同時に、それまで自分独りだけで思い悩んでいたからこそ陥っていた袋小路に、実は別の道があることに気付かされます。
 各編での事件は、どれもかなり悪質だったり身勝手なものが根底にはありますが、キリコの、そして著者の視点がどこまでも優しいことで、苦い物を含みはしても、読み味は非常に良い作品集となっていると言えるでしょう。
 そして、前作までのシリーズ短編集の2冊では、それぞれ収録された最後の1編で、キリコもまた重荷を抱えて苦悩する一人の人間であることが示されてきていましたが、本作では、1冊目ではキリコのパートナーであった大介、家族を含め、キリコ自身は物語の中心からは遠ざかっています。ですが、こうした間接的な登場であるからこそ、これまでシリーズを読んできた読者には、本作では直接的には描かれなかったキリコの苦悩が、よりリアルに伝わる部分もあるのかもしれません。