乾緑郎 『海鳥の眠るホテル』

海鳥の眠るホテル (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
 父親と釣りに行く約束をしていたものの、急な仕事でその約束を反故にされかけ、重苦しい空気の中で父と過ごした釣りの思い出を持つた子供。カメラマンを志し、それまでの仕事を辞めて専門学校に通いながら美術モデルをする千佳と、彼女の恋人だった西川と、やがて心を移していく新しい男である新垣との物語。認知症に侵されていく妻の君枝と、彼女を介護する夫の靖史の物語。そして、廃墟となったホテルに棲みつく男と、廃墟の写真を撮りに来たらしい女性の物語。これらの登場人物たちの記憶が交錯し、やがて浮かび上がる物語。

 本書は主に、千佳と新垣と西川、靖史と君枝、廃墟のホテルに住む男の、主に3つのパートによって物語が進められていきます。当初はバラバラだったこれらの物語は、少しずつ重なり合い、最後には一つの結末へと収束していくことになります。
 そこで描かれるのはどのパートをとっても救いのない悲劇と言って差し支えの無い現実であり、男女の愛情のもつれと身勝手さの犠牲になる千佳にしろ、日に日にアルツハイマーに侵されてそれまでの人格を失っていく妻の君枝と彼女を介護する靖史にしろ、行く先に明るさが全く見えない状況の中で苦しみ続けます。
 そうしたことが淡々と描かれるこの作品世界はどこか空虚であり、それは作中に登場する廃墟となったホテルの風景と重なり合うものにも感じられます。登場人物たちのこれらのドラマは、それぞれひとつだけでも十分な重さを持っているにも関わらず、あくまでも淡々と綴られることで、そこに描かれる登場人物の心の動きは逆にリアルにも感じられ、深い物語となっているのかもしれません。
 それぞれの物語が繋がり始める面白さは勿論ありますが、何よりも読み終えた後の静かな余韻が印象的な一作。