[読了]伊坂幸太郎 『魔王』

魔王
 ナショナリズムの怖さとそれに対面した時の個人という、非常にテーマ性の高い素材を扱いながらも、そこにあるのはあくまでも現代に生きる一人の人間としての視点であるのが、本書の凄いところだなと思います。
 中国の強硬な油田開発や、アメリカによる一方的な日本への扱いに物を言えない政治家。まさに現実の現代日本にシンクロする時代に生きる主人公は、急激に躍進する「未来党」の代表である犬養という政治家のカリスマ性に、ムッソリーニと同等のファシズムの匂いを感じ取ります。
 そして、政治家犬養の言動と、シンクロするように日本人の国民感情を逆撫でする事件に、徐々に高まっていくナショナリズム、あるいは全体主義というものに対して、主人公は一人立ち止まってこう考えます。

 あれと似ている、と俺は感じずにはいられなかった。あの、歌曲の子供は、まさに今の俺だ。俺だけが、魔王の存在に気づき、叫び、騒ぎ、おののいているにもかかわらず、周囲にいる誰もがそれに気づかない。

 国家と言う怪物によってひっそりと、気が付かないうちに、時代が危険な方向へ流れていくというのは、まさにこんな感覚なのかもしれないなと思わされました。
 伊坂作品では多くの作品で、個人が集団になった際に行う圧倒的な暴力と言うものへの嫌悪が描かれていますが、本作ではこれまで以上にこのテーマが明確に打ち出されています。
 インターネットやテレビで簡単に、かつリアルタイムで情報が入るからこそ、自分の目で見ず、自ら考えることを放棄して流されてしまうことの恐ろしさ、そしてその流れにあってもあくまで「ひとりの人間」としてあり続けることの格好良さが存分に伝わる一冊でした。

 前評判では、二部構成の後半、『呼吸』を蛇足と取るかどうかで評価が分かれる1冊ということでしたが、あくまでも未来に希望をつなぐスタンスの伊坂作品らしい終わりという意味で、わたしは『呼吸』も決して付け足しだとは思いません。むしろ、兄弟の間で受け継がれた種が芽を出し始める瞬間でエンディングにおいて、一人の人間で有り続ける希望が描かれる必然性はあると思います。

 もっとも、ひとつだけ難点を挙げるとすれば、昨今の日本を取り巻く国際情勢の中で、インターネット世代の若者を中心に湧き起こる行き過ぎたナショナリズムというものを描く際に、「いかにも」な人物の描き方をし過ぎたかなという点は少しだけ感じました。
 著者があくまで「自分で見聞きし、そして自分で考える」人間の立ち位置にいるだけに、その対極にある人物の描き方は少々表層的にならざるを得ないのかもしれませんね。
 ただ、そのことでより一層主人公サイドへの共感を呼ぶのであれば、敢えて欠点としてあげる必要はないのかもしれません。

 全体的な観想を言えば、共感され難いテーマを使っているにも関わらず、ここまで共感を呼べる伊坂作品のテイストが生きた秀作であると思います。