島田荘司 『ネジ式ザゼツキー』

ネジ式ザゼツキー
 日本を離れ、スウェーデンのウプサラ大学で脳についての研究をする御手洗は、友人の紹介で記憶に障害を持つエゴン・マーカットという男性と引き合わされます。彼が書いた『タンジール蜜柑共和国への帰還』という童話は事実に基づいたものであると指摘する御手洗は、エゴン・マーカットの過去と埋もれた事件を徐々に明らかにしていきます。

 一見荒唐無稽なファンタジーからある人物の過去と事件が浮かび上がるという形式は、同シリーズ作品である『眩暈』とも共通していますが、あまりにも非現実的な物語の中から、現実に起こった事象を抽出していく過程の面白さや、「奇想」の度合いという意味では本作は一層洗練されていると言えるでしょう。
 作中作でもある『タンジール蜜柑共和国への帰還』という物語自体の完成度も高いだけに、そこから現実世界における過去を御手洗により解き明かされる展開は、十二分に刺激的でした。
 もっとも、彼を中心に論考は進められているにも関わらず、エゴン・マーカットという人物が今ひとつ見えて来ないことで、些か物語りに厚みが欠けているような気もします。おそらく、エゴン・マーカットの視点と言えるべきものが、作中作である『タンジール蜜柑共和国への帰還』内で用いられるものにほぼとどまったということも勿論ありますが、御手洗を含め第三者の視点で語られるエゴン・マーカットのほとんどが、過去を持たない謎の男でしかなかったという、致し方ない面もあるでしょう。
 そして御手洗に関して言えば、学者然として落ち着いてしまいかつての「名探偵」としての御手洗のキャラクターは少し変わって来ているようにも思え、その辺りで探偵小説としては物足りなさも感じました。
 ただ今回は、完全に研究室にこもったアームチェア・ディクテクティブであること、そして脳科学や人類の歴史的な発見の蓄積の最先端を織り込むなど、新時代への意欲的な取り組みの姿勢を垣間見ることの出来る作品であることも、少なからず御手洗の変化に関わっているのでしょう。