浅暮三文 『夜を買いましょう』

夜を買いましょう (集英社文庫 あ 51-2)
 製薬会社に勤める遠藤は、リストラの瀬戸際で再起を図るため、新薬開発のための生薬を求めてインドネシアの小島に渡ります。そこでいわく付きのとんでもなく強壮作用のあるキノコを発見した遠藤ですが、帰国してみたら会社は外資に吸収合併され、彼の居場所は残っていませんでした。ですが新会社で人事調整を行っていたメイベル・カーターが彼の持ち帰ったキノコに興味を示し、二人は新たな事業を起こすための準備を始めます。研究を進めるうちに、このキノコの作用は強壮作用だけではなく、睡眠をコントロールするものであることが分かり、ビジネスは思わぬ方向に転がって行きます。

 全てを貨幣価値で量る資本主義経済に対して、著者らしい皮肉が込められたコミカルなファンタジー作品。近代経済学というものがそうであるように、全ての尺度を価格に求めることに象徴される社会の歪みをデフォルメした小説であるという点でも、非常に面白い作品です。
 そして作品の立ち位置としては、本作も『似非エルサレム記』と近いものがあると言えるでしょう。『似非エルサレム記』においては「エルサレム」という名の付いた大地の意志とは無縁なところで繰り広げる、政治的な駆け引きに必死の人間の滑稽さを強烈に皮肉っており、本作においては眠りと夢の世界を切り売りしようとする経済活動を風刺的に描いています。
 逆に『似非エルサレム記』と最も違う点を挙げるとすると、本作はあくまでも人間の視点で描かれているというところでしょう。ですが、ある意味経済社会の中ではドロップアウト寸前の研究者の遠藤という主人公を据えることで、単なる経済小説ではなく資本主義を超えたところにある人間の原点をも垣間見せようとする意欲作に仕上がっています。
 ただ、物語の中でキノコから起こした睡眠ビジネスがトントン拍子に拡大し始めると、途端に視点が分散して上滑りするような感じも受けます。短く区切って様々な人間の視点を交差させることで、事態の転がるスピード感をもたらしてはいるのは確かですが、これまで描かれてきた遠藤らの存在感が一気に薄れてしまい、そのままなし崩しに結末へと突入してしまったような印象もあります。また、結末もある意味では最初から予測出来た着地点であるという側面は否定出来ないでしょう。
 ですが、そこに至るまでの手法や独特のシニカルな視点は実に著者らしいもので、敢えて読者の想像を引き出す余地を残した終わり方も個人的には好きです。
 経済小説、風刺小説といった、ある意味カタイ印象のあるものを描きつつも、そこにモダンファンタジーと、著者独特の、どこか主流から外れた立ち位置だからこそ見える視点を持ってくることで、非常にとっつきやすくリーダビリティも高い個性的な作品になっています。