深水黎一郎 『エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ』

エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ (講談社ノベルス)

再読。
以前の感想はこちら

昨年から一冊行方不明になっていた本かと思って読んだら、こちらは読んでいました。
初読時よりも、今回の方がずっしりと来たように思います。
行方不明は『トスカの接吻』。

エコール・ド・パリの画家たちの中から、「呪われた画家」としてピックアップした画家たちを描写する、以下の記述が事件の根源にも生きているという部分が、物語の空気作り、ペンダンティズムとしても機能していることがまず特筆すべき点でしょう。

つまり芸術家は、書けなくなったら、描けなくなったら、曲を作れなくなったら、その絶頂で死ぬべきなのだ。もちろん本当に死ぬのが一番望ましいのだが、そうでなければ芸術家として死ぬべきなのだ。それが芸術家という選ばれた、いや呪われた人種に課せられた烙印なのだ。

単純に、誰が犯人なのかのフーダニット、いかにして密室は作られ犯行は完遂されたのかのハウダニットだけを抽出すれば、確かに地味な作品と言えるでしょうが、犯人が明らかになり、その犯行方法から作中で言うところの「呪われた」想念が浮き彫りになる辺りなど、実に秀逸に作りこまれた作品と言えるでしょう。
そういった部分で、初読時以上の読後感を味わえた1作でした。