京極夏彦 『前巷説百物語』

前巷説百物語
 上方から流れて江戸にやって来た又市は、ひょんな事件と関わりを持ったことから、銭で埋まらぬ損を引き受ける「損料屋」の仕事を請け負うことになります。表向きは冴えない双六売りの又市ですが、共に上方から落ちてきた縁起物売りの林蔵や、舞台の作り物を生業とする手遊屋の仲蔵、荒事を担当する武士の山崎寅之介らと共に、ゑんま屋の女主人お甲が請けた仕事で、依頼人の「損」を埋める仕掛けをします。ですが、ゑんま屋の損料仕事が稲荷坂の祗右衛門と対立し、又市らの命も危機に晒されます。

 『巷説百物語』で御行の又市と百物語を集めて諸国を渡り歩く山岡百介が出会う十年前から、本作『前巷説百物語』は始まります。
 本書において又市はまだ御行でもありませんし、「小股潜り」を名乗ってもおらず、さらには人死が出ることを嫌い、自らの信条を語るような青臭さにも満ちています。
 そして、『巷説百物語』においては、あくまでも裏の世界との境界を覗くに過ぎなかった百介の視点で語られていたのが、本書では若き又市の視点で描かれ、裏と表の境界から徐々に裏の世界へと近づいて行くことになります。また、あくまでも「仕掛け」においてはオブザーバーに過ぎず、全容を最後まで知らないことの多かった百介視点とは違い、本作ではことの起こりから事件に当たっている又市自身によって、決着を付ける図面が引かれる様式となっており、読者も仕掛けを講じる前段階からリアルタイムで又市らの視点を追うようになっています。
 そして『巷説―』以降のシリーズでは、ある種完成されている又市というキャラクターは、本書ではまだその途上にあり、ひとつひとつの事件を経て、後の御行又市の下地となる経験を積み、様々なことを学んで行きます。
 本書ではまだ百介と出会っていない又市ですが、事件の仕掛けに妖怪を使うやり方については、百介の果たした役割に似たポジションに、本草学者の久瀬棠庵という人物が当たっており、棠庵との関わりが、以下のように後の百介との付き合いに繋がる様を見て取ることが出来ます。

「あんな嘘臭ェもんが――現実にあんのかよ」
「正確にはあると思われていた時期が合った、あると伝えられている地域がある、あると考えている人達が居る、ということですなあ。天地の摂理に照らすなら、明らかに与太話です」
――信じてはいねェのか。
「先生が適当に作った与太じゃない、ということか」
「ええ、例えば此処で私が適当な作りごとを並べ立ててご覧なさい。そんな嘘はやがて露見します。(中略)ありそうもないことでもきちんと裏付けがあるからこそ、私は学者として語れる。学者の私が語るから信憑性も出るのです」
なる程――。
――此奴はそうやって使うのか。

 そして、又市らがはじめて裏の世界とかち合った事件において、後に大きな役割を果たす御燈の小右衛門との出会いを果たし、さらには稲荷坂の祗右衛門との因縁も始まります。
 映画などで、特定のキャラクターの若い時代を描いた「ヤング・――の」という類は大抵そのキャラクター人気に乗った二匹目のどじょうであり、薄味な物が多いですが、本作では、若いが故の青臭さに満ちた、まだ完成されていない又市というキャラクターが、いかにして御行となったか、以降の作品の土台となっている部分を見事に描いていると言えるでしょう。