恒川光太郎 『秋の牢獄』

秋の牢獄
 女子大生の藍は、自分の記憶だけを残して一日がリセットされ、毎日朝になれば11月7日の水曜日が繰り返されていることに気付きます。そして25回か6回目の11月7日を迎えた彼女の前に、藍と同じように一日が繰り返されていることを知っているという青年が現れます。彼に連れられて同じような「リプレイヤー」を名乗る仲間たちに引き合わされた藍ですが、「北風伯爵」と仲間内で呼びならわされる不気味な存在と、仲間が次々に姿を消していることを知らされます。(…『秋の牢獄』)
 公園を抜けた所に不意に現れたわらぶき屋根の家に足を踏み入れた青年は、翁の面をかぶった老人から強制的に受け継がされたこの家から出られなくなります。日本全国を定期的に彷徨うこの不思議な家から出るためには、誰か別の人間に交代しなければならないらしく、青年は自分の身代わりとなる人間を待ちますが…。(…『神家没落』)
 幻を操る力を持つ祖母と暮らしていたリオは、彼女自身も持つ祖母と同じ力を成長と共に磨いていきます。その力ゆえに、かつて祖母が関わっていた宗教団体に閉じ込められているリオですが、彼女は誰にも知られることなく密かに怪物を育てていました。(…『幻は夜に成長する』)

 11月7日という時間の牢獄に閉じ込められる表題作『秋の牢獄』、連綿と受け継がれてきた不思議な家に閉じ込められる『神家没落』、そして人間のエゴによって閉じ込められ生かされることを甘受する異能の少女を描いた『幻は夜に成長する』の、いずれも異なる「牢獄」をテーマとした3作が収録された短編集。
 時間の牢獄の中で無限ループを繰り返す、リプレイものとでもいう作品は、それ自体は決して新しいテーマではありません。ですが『秋の牢獄』においては、説明のつかない現象に対して無理に説明をしないからこそ生まれる作品世界のリアリティがあり、また、ミステリでもSFでも理屈を付けることで世界構築をする部分が大きいのに対し、得体が分からないままだからこそ成立する幻想によって世界構築が成されていると言えるでしょう。
 また、柳田国男の言うところの「マヨイガ」を描いた『神家没落』においては、人智を超えた「家」の不気味さ・理不尽さ以上に、ここで描かれる物理的な閉鎖空間への愛着を覚える不思議な作品であると言えるでしょう。『秋の牢獄』『神家没落』ともに、閉ざされた「牢獄」の不思議な居心地の良さと、それを失うことへの哀惜が、何とも言えないノスタルジーを感じさせる作品でした。
 その意味では、作風から言って最も異色であるのは、最後に収録された『幻は夜に成長する』だと言えるでしょう。この短編においても確かに主人公は「閉じ込められ」てはいますが、彼女はその気になれば出て行くことが出来るのにも関わらずそうしないところが肝要であり、良い意味で毒が効いた作品となっています。、
 デビュー作『夜市』から既に確立されていた、幻想小説としての独特の異界感とリーダビリティの高さは、本書においても変わることなく感じられます。さらに、本書に収録されているのは、ひとつのテーマのもとに描かれた3編でありながらも、それぞれの異なったアプローチによる試みも成功しており、著者の作家としての引き出しの多さを示すものとして、今後の可能性に期待させられるものだと言えるでしょう。